先日、久しぶりに友人と食事に行ったのですが、その際に友人が「周りの同僚が仕事ができない。自分で考えて工夫して、無駄なことはやめればいいのに…」とぼやいていました。
仕事ができる人に多い悩みかな、と思います。ただ、そのままだと精神衛生上よくないと思うので、ストレスをためない考え方と、実際に自分にできることは何か、ということをまとめたいと思います。
同じような悩みを抱えている人に、何かヒントが与えられる記事になっていれば幸いです。
他者の課題を分離する
周りに人の行動が気になってしまうことはよくありますよね。職場に限らず、家庭でも、友人関係でも、政治でも、なんでもあります。「もっとこうすればいいのに」「あの人の行動はけしからん!」みたいな。
少し気になるぐらいだった問題ないのですが、それが原因でストレスがたまってしまうと困ります。自分のことは変えられても、他人のことは変えられません。なので、相手が変わることを期待していても基本的にこのストレスなくなりません。
では、どうするか。アドラー心理学でいうところの課題の分離が大事だと思います。
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他社の課題とを分離していく必要があるのです。
岸見一郎, 古賀史健. 嫌われる勇気 (p.140). ダイヤモンド社.
およそあらゆる対人関係のトラブルは、他社の課題に土足で踏み込むこと――あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること――によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。
岸見一郎, 古賀史健. 嫌われる勇気 (p.140). ダイヤモンド社.
例えば、「同僚が自分の仕事に工夫して取り組まず、効率が悪い」といった場合はこれは誰の問題か。これは、同僚もしくは上司の問題です。
仕事の効率を意識すること自体は同僚が問題意識を持つしかありません。もし、残業代による人件費の問題、会社の利益にかかわる問題、チームの士気にかかわる問題として考えれば、それはその組織を管理する上司の問題でしょう。
人を変えることはできないが、影響を与えることはできる
とはいえ仕事関係だと、「同僚の仕事が非効率で進捗が悪く、上司も何もしないため、結局自分がフォローすることに…」ということもあるでしょう。
不本意ですが、その場合はある種自分の課題となってしまいますので、何か対策が必要でしょう。といっても、打てる手は限られています。転職するか、フォローする仕事を断るか、引き受けたうえで改善するかです。
転職と、仕事を断ることについては、できるとき/できないときがあるのでTPOだと思います。なのでここは深堀しないでおきますが、選択肢として持っていると気持ちはラクになると思います。
引き受けたうえで改善することを前提に話を続けます。重要なのは「仕組みを変える」「自分が変わる」です。
仕組みを変える
大事なことなので繰り返しますが、人のことを変えることはできません。ですが、もし非効率な仕事をしていることが分かっているのであれば、その仕組み、方法、手順、マニュアルなどを改善することはできるでしょう。
実際に友人は、封筒への宛名印刷のミスが多い問題を、手順を見直すことで改善したようです。大きな改善は個人の力では難しいですが、こういった手の届くところから進めるとよいと思います。ただし、あまり疲弊しないようように、余力は残してくださいね。
自分を変える
ポジティブ心理学の記事でも紹介しましたが、人の身体運動は伝播します。自分が建設的に問題解決しようとしたり、創意工夫すると、周りの人もその影響を受けるのです。
もし、愚痴が多くなってしまったり、同僚に対して少し攻撃的な目を向けてしまっていたりすると状況は改善されないでしょう。むしろそういったネガティブさが伝播するかもしれません。
また、無理に相手の価値観を変えようとしたり、強制するのは逆効果です。相手のことを思っての行動だという人がいるかもしれませんが、そういう人はまず人間の心理的な働きを学ぶ必要があります。間違ったアプローチは百害あって一利なしです。
人を変えることはできませんが、自分の態度やモノの見方、考え方を変えることはできます。あくまでその結果として、周囲の人の行動や考え方が良い方向に変わったらラッキー程度に思いましょう。自分が頑張っているのに、周りが変わらないと嘆く必要はありません。それは直接的にはあなたの責任ではありませんし、よっぽどのことがない限り深入りしないことです。
まとめ
以下、この記事のまとめです。
- 気になってしまうことやストレスの原因が、自分の課題なのか、他人の課題なのか分けましょう
- 人を変えることはできませんが、仕事の仕組みを変えることはできます
- 人を変えることはできませんが、自分を変えることはできます
牛のつぶやき
他人の課題は気にするな、というと少々ドライな気がしますが、自分の身を削って何とかするような自己犠牲は優しさとは違います。優しい人間には、適切なアプローチがとれる賢さも必要だと思います。